亀谷坂露伴亭の読みは?

亀谷坂露伴亭は、「カメガイザカ ロハンテイ」とよみます。宜しくお願いいたします。

露伴亭の運営者は?

NPO法人まちづくり処露伴塾が運営しています。みんなでつくった露伴亭はみんなで助け合いボランティア精神で楽しく運営しています。

なぜスリランカカレー?

JICA二本松に勤めている外国人の奥さんたちに色々なカレーの作り方を教えてもらいイベントで振る舞いました。中でも一番人気が高かったスリランカカレーをメニューにいたしました。

営業時間・定休日は?

営業時間 11時~15時・定休日 月・火曜日になります。

みんなで作った露伴亭とは?

平成20年10月「ボラード人形や幸田露伴句碑ができた亀谷坂にみんなの活動拠点『坂の駅』をつくろう!」ということになり、その年の11月1日に地鎮祭、11月30日には上棟式、12月28日には落成式と、たった2か月でできたのが露伴亭なのです。それも素人私たちが 週末の土・日曜ごとに集まり、実際に大工道具を持って作った建物なのです。(違法建物とならないよう基礎工事と水道、電気はプロにお願いしましたが)慣れない現場作業は悪戦苦闘の連続‥と思いきや、職業・年代・性別を越えての共同作業と仲間意識は日毎に盛り上がり、女性陣の日替り昼食賄いもあって、大変楽しいものとなりました。二本松工業高校生の参加もあり、ボランティアの延べ人数は300人を超え、その善意の輪は専門業者の方にまで広がり、名称は公募で「亀谷坂露伴亭」と決めました。露伴ゆかりの阿部川餅の復元とJICAの教授秘伝の本場スリランカカレーを中心に、地域密着型のお店として翌平成21年3月29日に開店、地区ボランティアのみなさんが交代しながら、みんなでつくった坂の駅の熱き思いを胸に、楽しい露伴亭を目指して営業に取り組んでいます。

ボラード人形が無い?!

はい、残念ながら諸般の事情により平成26年にボラード人形を撤去しました。現在は露伴亭周辺に、毎年寄贈してくれる福大生作品土人形ギャラリーとして飾っています。

 詳しくはボラード人形作成事業のページをご覧ください->

幸田露伴ゆかり地なのですか?

「露伴」という雅号(ペンネーム)の起因が亀谷坂にあったことから幸田露伴ゆかりの地としています。
 ⇒ 明治20年の話です。本名幸田成行(しげゆき)が20歳の時、文学を志し東京へ向かって北海道を飛び出しました。1か月をかけ奥州街道を南下、いよいよ旅の大詰めが亀谷坂(明治20年9月28日/最悪の体調)、その峠の茶屋「阿部川屋」で餅を食べ、しかし体力・気力も限界の中「里遠し いざと寝ん 草まくら」という句を残し、何とか郡山から列車に飛び乗り東京に行ったのです。成行は、この野垂れ死に寸前で詠んだ句から「露伴」のペンネームをつけ文学界に乗り込み、五重塔など次々と作品を発表、文学界にとどまらず大露伴として幅広く尊敬されました。露伴は、若い時のつらい旅(突貫紀行)と文学への強い思いが詰まった「露伴」のペンネームを生涯大切にしたそうです。
 ⇒ これが亀谷を舞台とした露伴ペンネーム誕生の物語です。