露伴の雅号は二本松でつくられた

平成17年4月 / 亀谷坂整備事業で坂がきれいになる
平成17年11月 / ボラード人形づくりがスタート
平成19年10月 / 坂頂上まで歩かせる工夫はないか?
歩いて楽しい道路をつくろうとボラード人形を作り始めて2年、試験的にお祭りで飾り大好評を得ます。次の課題として論議されたのが頂上まで歩かせる工夫としてのお宝さがし、そこで登場したのが明治の文豪幸田露伴が坂頂上峠の茶屋に立ち寄った言い伝えであり、調べ始めると大きな物語がありました。
平成19年11月 / 野垂れ死に寸前の露伴と阿部川餅とペンネーム
文学を志す青年露伴は、北海道から東京をめざし奥州街道を南下、限界ぎりぎりで差し掛かったのが亀谷坂です。茶屋「阿部川屋」で餅を食べ、野垂れ死に寸前で詠んだ「里遠しいざ露と寝ん草枕」の句から、後に雅号「露伴」をつけたそうです。決死の突貫道中と文学を志す若者の熱き思いが「露伴」の文字に隠されていることを知り、広く顕彰するため坂頂上にペンネーム由来の地碑を建てました。